米アラスカ州、消える先住民の村=北米初の「気候難民」―止まらぬ変化、迫られる対応・第3部「未来が見える場所」(エピローグ)〔66°33′N=北極が教えるみらい〕 2024年11月13日 08時00分
小型のプロペラ機が飛び去ると、ツンドラを渡る風の音だけが残った。かつて子供の笑い声であふれた広場は、バスケットボールのゴールが倒れたまま。米アラスカ州西部ニュートックは気候変動で移転を迫られ、「北米初の気候難民」と呼ばれた先住民族ユピックの村だ。30年近く要した全住民の移住は、来月終わる。近く消滅するその村を12年ぶりに訪れた。
◇残る未練
「思い出のある場所を離れたくない」。ニュートックの住民ジョセフ・スチュワートさん(61)は家の中を見回した。
一家6人が暮らす8畳一間ほどの家は床が傾き、灰色にくすんだ壁には黒いカビが浮かぶ。村には下水処理設備がなく、バケツにためたふん尿を定期的に川岸へ捨てる。洪水が起きれば、それが村に流れ込んでくる。
衛生環境の悪さから、孫の一人はぜんそくを患う。川の対岸に造成された新しい村に移れば、広くきれいな家をもらえる。「移らなければならないのは分かっている」。わずかな家財道具を箱に詰め始めたが、名残惜しさは拭えない。
◇難航した移転計画
永久凍土の融解は、ニュートックをぬかるみに変えた。ほとんどの家は土台から傾き、電柱は倒れる寸前。波を抑える効果を持つ海氷が減少し、ベーリング海近くに位置するニュートックにも高波が押し寄せるようになった。川岸の浸食は年平均22メートルに達し、学校のすぐそばまで川が迫る。「もはや人の住める場所ではない」。村の自治組織トップのカルビン・トムさん(30)は断言する。
1996年に村全体の移転計画が持ち上がった。だが、政府との土地交換交渉や資金集めが難航。紆余(うよ)曲折を経て、最初の集団が川の対岸に造成された村マータービックに移転したのは、2019年10月になってからだった。
その後の5年間で全住民の8割が移ったが、住宅建設が遅れ、いまだ71人がニュートックにとどまる。トムさんは「10月中に仮設住宅を完成させ、本格的な冬が来る前に全員の移住を終える」と話す。
◇北極が教える未来
等間隔に並んだマータービックの住宅は全て同じ規格で、個性はない。ただ、住民は「家は広く、倒壊におびえなくて済む」と口をそろえる。学校教師のローマン・スタインスプリングさん(30)も「子供たちはニュートックを懐かしむこともあるが、安全な場所に引っ越して笑顔が増えた」と変化を見て取る。
アラスカ州に点在する約220の先住民族の村のうち、永久凍土の融解や土壌浸食、洪水などの危機に直面する村は144カ所。温暖化は北極で最も早く進み、その影響は世界へと広がっていく。
北極が教える未来を学び、激変する環境にどう対応するか。日本にとっても、遠い世界の出来事では済まされない。「気候変動に一時停止ボタンはない」。ある研究者が北極関係の国際会議で発した言葉が重く響く。
10月上旬、ニュートックの小さな飛行場に向かっていると、雪がちらつきだした。「初雪だ」。隣を歩く年老いた女性が空を見上げた。冬が過ぎ、春が来ればすべての建物が取り壊され、村は消える。