トルコ被災地、見えぬ復興=「全て失った」過酷な日常―生活再建進まず・大地震1年 2024年02月04日 15時11分

トルコ南部アンタキヤで、昨年2月の大地震で壊れたまま放置された建物。震災前は商店が立ち並ぶにぎやかな通りだった=1月31日
トルコ南部アンタキヤで、昨年2月の大地震で壊れたまま放置された建物。震災前は商店が立ち並ぶにぎやかな通りだった=1月31日

 昨年2月にマグニチュード(M)7.8と同7.5の大地震に見舞われたトルコ南部。地震から今月6日で1年となる被災地を歩くと、甚大な被害がそのまま残されていた。「全てを失った」「パン1個すら買えない」。生活基盤を一瞬にして壊された被災者は、復興への道筋が見えないまま、今も過酷な日常を強いられている。
 ◇家も仕事も消えた
 シリアとの国境に近いトルコ南部アンタキヤは、最も被害が大きかった町の一つ。中心部はがれきが撤去され、建物が消えた更地が広がる。一方で、廃虚となり人影のない店舗跡や住宅も放置されていた。
 「仕事がなくなり、生きるのに必死だ」。がれきが残る一角で、アイハン・ブラルさん(61)が鉄くずを集めていた。1キロ売っても7.5リラ(約36円)。大半は食費に消え、生活に十分な額には程遠い。「支援もなければコンテナにも暮らせない。こんなに苦労していても、元通りになるまで続けるしかない」と肩を落とす。
 地震で自宅が倒壊し、妻や子、孫とは離れて暮らす。他の町に移ったが、避難所生活になじめず3カ月後に戻って来た。「1年たってもがれきが少し片付いただけで、大して変わっていない」と不満を口にした。
 正式な統計はないものの、住民の話では、アンタキヤを離れた被災者のうち戻って来たのは2割程度にすぎないという。復興が遅れて雇用も回復せず、街頭には所在なく過ごす人々の姿が目立つ。声を掛けたメフメト・カヤさん(32)は、自宅や勤務先の靴店が壊れ、大勢の親戚も犠牲になった。「この惨状で、どうしていいか分からない」と途方に暮れていた。
 ◇「時間が必要」
 旧市街にあるウズン・チャルシュは、日用品や食料、金細工などの店が軒を連ねる由緒ある市場だ。地震直後は多くの店が被災し閑散としていたが、今は人出も多く、かつてのにぎわいが戻りつつあるように見える。
 だが、市場で働く人の気持ちは複雑だ。香辛料を売るハリル・バユブダオールさん(40)は「アンタキヤで人が集まるのはここだけ。町は壊滅し、他に何も残っていない」と話す。自分の店を失い、昨年6月から月額1万リラ(約4万8000円)で間借りした店舗で営業を再開したが、客数は震災前から8割減。3万5000リラ(約17万円)ほどだった収入は激減し、「今は店の賃貸料を払うのも苦しい」と表情はさえない。
 市場で約200年続くというパン屋では、ユヌスさん(62)が窯でパン焼きに精を出していた。「1年前がゆっくり歩いているとすれば、今は一生懸命走っているようなものだ」と懸命に前を向く。傍らでパンをこねていたムスタファさん(64)も「町の9割を失った。でも、われわれは働き者だ。(復興に)必要なのは時間だよ」とつぶやいた。 

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昨年2月の大地震で倒壊した建物のがれき撤去が続くトルコ南部アンタキヤの中心部=1月31日
昨年2月の大地震で倒壊した建物のがれき撤去が続くトルコ南部アンタキヤの中心部=1月31日
トルコ南部アンタキヤで、がれきの中から鉄くずを集めていたアイハン・ブラルさん=1月31日
トルコ南部アンタキヤで、がれきの中から鉄くずを集めていたアイハン・ブラルさん=1月31日
トルコ南部アンタキヤ旧市街の市場「ウズン・チャルシュ」。大地震から1年たち、にぎわいが戻りつつある=1月31日
トルコ南部アンタキヤ旧市街の市場「ウズン・チャルシュ」。大地震から1年たち、にぎわいが戻りつつある=1月31日

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