円高に翻弄された50年=迷走する財政・金融政策―ニクソン・ショック 2021年08月13日

 1971年8月にニクソン米大統領(当時)がドルと金の交換停止を突如発表したことを契機に、日本は変動相場の荒波に投げ出された。戦後、1ドル=360円に固定された為替レートの恩恵を享受し復興を果たした日本経済。だが、71年以降の50年間は円高の脅威に翻弄(ほんろう)され、景気対策で繰り出された財政・金融政策はバブルを生み、出口の見えぬ大規模金融緩和に足を踏み入れた。
 「黒雲は出ていたが、あの日にああいうことが起きるとは誰も予想していなかった」。当時大蔵省(現財務省)財務官室長だった行天豊雄元財務官は振り返る。大統領発表は日本時間8月16日午前10時。東京外国為替市場が開いた後だった。強烈なドル売り圧力に対し、欧州各国は混乱回避へ市場を閉鎖。政府・日銀は深夜まで議論したが、翌日以降も市場を閉じず、結果として、当時のレートで1兆円を超える39億ドル規模のドルの買い支えを余儀なくされた。
 73年には円を含む主要通貨は変動相場制に移行。「1ドル=360円のぬるま湯に漬かっていた」(行天氏)日本の衝撃は大きく、円高対策の財政・金融政策や為替介入を繰り返した。だぶついた資金が株や土地への投機に回り、国内経済の混乱を招くこともあった。
 国際金融史に詳しい大妻女子大学の伊藤正直学長はニクソン・ショック以降、「国境を越えた資本の移動が為替レートを決めるメカニズムとなり、国際金融市場の構造が変わった」と指摘する。金の裏付けなしに通貨の発行量を増やせるようになったことでマネーは膨張を続け、80年代以降、世界中で金融危機や通貨危機が頻発。「金融が実体経済を振り回す『化け物』になった」(行天氏)という。
 ドル高是正に関する85年のプラザ合意後の急激な円高に対し、日本は金利引き下げなどで対応。結果として資産バブルの発生と崩壊による日本経済の長期停滞を招いた。
 一方、2011年10月に1ドル=75円32銭の戦後最高値まで進んだ円高の流れは、大規模金融緩和による市場への大量の資金供給に伴い変わったが、物価の安定的な上昇という目標達成は不透明だ。さらにデジタル通貨でドルの覇権に挑戦する中国との対峙(たいじ)など新たな課題にも直面する。 

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