現地住民犠牲、トラウマも=資料館「平和と和解の場に」―インド北東部インパール 2025年08月09日 16時18分

【インパール時事】「もし爆撃があったら次はどこに逃げたらいいか」。インド北東部インパール近郊にある平和資料館のハオバム・ジョイレンバ館長(48)は幼い頃、祖母がよく周囲にそう尋ねていた様子を覚えている。旧日本軍の無謀な作戦に現地で遭遇したトラウマからだった。
1944年、インパールで旧日本軍と英領インド軍が交戦を始めた頃、祖母はジョイレンバさんの父親を身ごもっていた。身重の体で20キロ以上の避難を強いられ、けがはなかったが兵士たちの悲惨な死を目の当たりにした。他の住民も牛車に積めるだけ荷物を積み、戦地を離れた。
祖母の話では、旧日本兵は食料を求め住民宅を訪ねてきたが、「丁寧に頼み、何も強要しなかった」。それでも多くの住民が戦闘の影響で命を落とし、家屋は破壊された。「突然銃撃戦に巻き込まれた人はこの戦争が何かを知るよしもなかった。この地では『日本戦争』と呼ばれ、地域社会に壊滅的な被害をもたらした」と語る。
ジョイレンバさんの所属する地元観光協会は生存者の証言を後世に残そうと、日本財団などの支援を得て2019年に資料館を開設。作戦から81年がたった今、当時の記憶をとどめる人はごくわずかだ。
「私たちは(日本と英印軍の)どちらの立場でもない。資料館を平和と和解の場として位置付けたい」と述べ、今後も犠牲を語り継いでいくことを誓った。