フィリピンで高齢化進む「残留2世」=いまだ無国籍の人も―日本政府、支援強化へ・戦後80年 2025年06月01日 05時21分

太平洋戦争後のフィリピンに残され、無国籍となった「残留日本人2世」。日本国籍取得にこぎ着けた人がいる一方、親が日本人だという十分な証拠が見つからず、いまだ国籍を持てずにいる人もいる。高齢化が進む中、戦後80年の節目に合わせて日本政府も支援強化を打ち出した。
◇親族と初対面
「父は亡くなってしまったが、親族が来てくれてうれしい」。5月末、フィリピン西部リナパカン島に住む盛根エスペランサさん(87)は、沖縄県から訪れた親族2人を妹リディアさん(85)と一緒に迎えた。姉妹は昨年9月に日本国籍を取得。今回、日本の親族との初対面を果たした。
日本から来たのは、盛根直昭さん(49)と康彦さん(40)。目に涙をためて姉妹の手を握り、沖縄の親族とテレビ電話をつないだ。リナパカン島などで暮らす他の親族ら数十人も駆け付け、直昭さんらと自分たちの顔を見比べて「目から鼻の作りが一緒だ」「ひげが似ている」などと笑い合った。
◇つながり隠す
盛根さん姉妹は、戦前にフィリピンへ移住した沖縄出身の盛根蒲太さんと現地人の母の間に生まれた。子供は父親の国籍を引き継ぐと定めた当時の日比両国の法制度に従えば、姉妹も日本国籍を持つはずだった。
蒲太さんは終戦間際の1945年3月に死去。日本占領下にあったフィリピンでは反日感情が強く、残された家族は迫害を恐れて「盛根」姓を使わず、日本とのつながりを隠して無国籍となった。10年ほど前に日本国籍取得の申し立てができると知り、姉妹は「日本人として認められたい」との気持ちが強まったという。
◇「時間的猶予ない」
盛根さん姉妹は、両親の婚姻記録や沖縄の親族が見つかったことで国籍を取得できた。しかし、証拠が見つからず国籍を得られないまま亡くなった人も少なくない。日本政府などによると、これまでに1600人超が日本国籍を取得。依然として49人が国籍を求めているが、平均年齢は80歳を超える。
石破茂首相は4月末、訪問先のマニラで3人の残留2世と面会し、国籍取得や一時帰国への支援を表明した。その際、残留2世の寺岡カルロスさん(94)は「祖国への帰属を国として認めていただきたい」と首相に直訴。「個人の尊厳に関わる人道問題で、時間的猶予はもはやない」として、迅速な対応を求めた。
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