日米の架け橋、思い息づく=米国人犠牲者の「後輩」、宮城を視察―東日本大震災 2024年03月02日 14時59分

テイラー・アンダーソンさんの記念碑と写真に納まる米ランドルフ・メーコン大の学生ら=1月23日、宮城県石巻市
テイラー・アンダーソンさんの記念碑と写真に納まる米ランドルフ・メーコン大の学生ら=1月23日、宮城県石巻市

 宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園にある東日本大震災の慰霊碑に、1人の米国人女性の名前が刻まれている。テイラー・アンダーソンさん=当時(24)。13年前のあの日まで、市内七つの小中学校で外国語指導助手(ALT)として教壇に立っていた。日米の架け橋になりたい―。その思いは今も、関係者の心に連綿と息づく。
 今年1月下旬、米南部バージニア州のランドルフ・メーコン大学の看護学部生ら約20人が慰霊碑を訪れ、テイラーさんの銘板に手を添えていた。災害や復興について学ぶため短期研修で来日。テイラーさんは大学の先輩に当たる。
 学生たちは県内の震災遺構や復興祈念公園などを視察。医療系の仕事を目指す看護学部4年のケイトリン・エイハーンさん(21)は「災害時に分け隔てなく助け合う人々の姿を学んだ。その姿勢を持ち帰りたい」と話した。
 テイラーさんはバージニア州出身。大学卒業後、2008年に日本政府の外国青年招致事業(JETプログラム)で石巻市に派遣された。震災当日は児童を校舎から校庭に避難させて保護者らに引き渡した後、自転車で自宅に向かう途中、津波にのまれた。警察庁の16年の発表によると、震災では外国人33人の死亡が確認されており、テイラーさんはその一人となった。
 震災後、テイラーさんの両親らは娘の名を冠した基金を設立。遺志を継ぎ、子ども向けの英語の絵本や本棚を「テイラー文庫」として市内の小中学校などに贈る活動を続けている。
 学生たちを引率したランドルフ・メーコン大教員のカイル・マグラクランさん(43)も震災時、宮城県内でALTとして働いていた。テイラーさんと交流はなかったが同じ州の出身。「同時期に英語を教えていたこともあり、とても心が痛んだ」という。
 あの日、カイルさんは中学校の職員室で経験したことのない揺れに襲われ、住んでいたアパートの自室には津波が押し寄せた。着る服もなければ、住む場所もない。同僚たちの家を転々とする生活がしばらく続いた。19年に米国に帰国し、現在の仕事に就いた。「まさかテイラーさんの母校で働くことになるとは。運命めいたものを感じた」と振り返る。
 研修では、テイラー文庫の本棚を手掛ける石巻市の木工作家遠藤伸一さん(55)とも面会した。テイラー文庫は同大にも設置されており、学生たちにもなじみがあった。
 遠藤さんは震災の津波で3人の子どもを亡くしたこと、多くの人の支えで今があることなどを伝えた。「カイルさんとも兄弟みたいになれたんだ」。その一言に、カイルさんは涙をこぼした。
 「テイラーさんのおかげでこうしたつながりがある」とカイルさんは強調する。学生たちを東北に連れて行きたい―。その思いが実現し、「胸に込み上げてくるものがあった」と続けた。 

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石巻南浜津波復興祈念公園にある慰霊碑に手を添える米ランドルフ・メーコン大の学生=1月23日、宮城県石巻市
石巻南浜津波復興祈念公園にある慰霊碑に手を添える米ランドルフ・メーコン大の学生=1月23日、宮城県石巻市
米ランドルフ・メーコン大教員のカイル・マグラクランさん=1月24日、宮城県石巻市
米ランドルフ・メーコン大教員のカイル・マグラクランさん=1月24日、宮城県石巻市

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