スズキ躍進の立役者=「脱ワンマン」道半ば―鈴木修さん死去 2024年12月27日 18時56分

スズキの鈴木修さん=2012年8月、インド西部グジャラート州(AFP時事)
スズキの鈴木修さん=2012年8月、インド西部グジャラート州(AFP時事)

 スズキのトップに長年君臨し、カリスマ経営者と呼ばれた鈴木修さんが死去した。強力なリーダーシップで社内を統率してきただけに、晩年は「脱ワンマン経営」が課題となった。だが、その道筋を見届けることまではできなかった。
 修さんの優れた経営手腕は、スズキの企業業績が如実に物語っている。2017年度は、連結売上高が社長に就いた1978年に比べて10倍以上に拡大し、本業のもうけを示す営業利益は3741億円と過去最高(当時)を記録。また社長就任以降、赤字決算を一度も出さなかった。社員が使う文房具の経費削減まで指示するなど、コスト削減を徹底した。
 スズキ発展のため、提携先を変えながら独立路線を堅持するしたたかさも見せた。81年には世界最大の自動車メーカーだった米ゼネラル・モーターズ(GM)と提携。エコカーの技術供与を受けようとした矢先、GMが2008年のリーマン・ショック後に経営破綻すると、翌年には提携先をドイツ自動車大手フォルクスワーゲンに切り替えた。
 しかし、経営の独立性を脅かされると見るや、国際仲裁裁判所で争って関係を解消。16年にはトヨタ自動車と提携交渉開始で合意した。車両の相互供給や電気自動車(EV)の共同開発といった両社の協力関係は現在も続く。
 修さんの先見の明が最も発揮されたのは、インドへの進出だ。世界の自動車メーカーの中でいち早く開拓に乗りだし、今では同国の乗用車市場の4割を超すシェアを握るまでになった。インド事業は、スズキの売上高の4割以上を占め、経営の屋台骨を支える。
 「脱ワンマン」化を図るため、社長を15年6月に長男俊宏氏に譲った。同氏を中心とした集団経営体制が軌道に乗るよう努めたが、その後も最高実力者であることには変わりなかった。自動車業界が電動化や自動運転などの激変期に突入し、スズキも対応を迫られるようになると、修さん自身がトヨタとの提携に道筋を付けた。 

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インド現地子会社の自動車工場開所式に臨むスズキの鈴木修さん(右)=2010年3月、ニューデリー近郊(AFP時事)
インド現地子会社の自動車工場開所式に臨むスズキの鈴木修さん(右)=2010年3月、ニューデリー近郊(AFP時事)

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