昭和天皇のワシントン訪問要請=「米国をより多く見て」―ニクソン大統領 2025年02月10日 17時45分
1971年9月に米アラスカ州で行われた昭和天皇とニクソン大統領の会談で、ニクソン氏は将来首都ワシントンを訪れてほしいと天皇に伝えていた。昭和天皇は確約を避けつつ、首都を訪問できれば「光栄だ」と述べた。(日米政府関係者の肩書は当時)
会談内容を記録した米国家安全保障会議(NSC)の覚書によると、ニクソン氏は「天皇、皇后をワシントンで迎えられることを、また、そのような機会に天皇、皇后が米国をより多く見物できることを、自身(ニクソン氏)と米国民は望んでいる」と語った。昭和天皇は「ワシントンを訪れ米国の一角以上を見ることができれば誠に光栄だ」と応じた。
成城大の森暢平教授の研究によれば、佐藤栄作首相はこれより先の71年7月に米AP通信会長と面会し、「来年以降近い機会」に昭和天皇が訪米し、その後ニクソン氏が来日することを希望すると発言。ホワイトハウスはこれに注目していた。ただ、ワシントンを含む昭和天皇、香淳皇后の米国訪問の実現はニクソン政権期ではなく、フォード政権下の75年にずれ込んだ。
アラスカ会談ではまた、昭和天皇が、人類初の月面着陸に成功し、外国人で初めて文化勲章を授与されたニール・アームストロング氏らと69年に面会した経験に言及。「月の起源に関する人類の理解に大きく貢献する」と偉業をたたえた。
このほか、ニクソン氏が昭和天皇の海洋生物研究に触れ、海洋資源開発で主要各国は協力できると水を向けると、昭和天皇は「陸上のように海洋環境が開発によって汚染されることがないよう望む」と懸念を口にした。