日本兵脱走「カウラ事件」から80年=豪首相が献花、平和と友好誓う 2024年08月04日 19時09分
【カウラ(豪南東部)時事】第2次大戦中、オーストラリア南東部カウラにあった捕虜収容所で日本軍兵士が集団脱走を図り、230人以上が死亡した「カウラ事件」から5日で80年。跡地や墓地で4日から慰霊行事が行われ、アルバニージー首相や鈴木量博駐豪大使らが献花。日豪両国の戦没者を追悼するとともに、戦後に育んできた平和と友好の発展を誓った。
アルバニージー氏は記者団に「世界で多くの紛争が起きている今、第2次大戦の暗黒の時代から日豪の間に友情が芽生えたことを思い出すのは重要だ」と語った。現職の豪首相がカウラを訪れたのは1986年のボブ・ホーク氏以来。
岸田文雄首相も「戦後、カウラの人々が人間の尊厳を重んじてきたことが、日豪の強い結び付きをもたらした」とのメッセージを寄せた。穂坂泰外務政務官が4日夜の関連行事で代読した。
事件は44年8月5日午前2時ごろ発生。進軍ラッパの合図で約1100人の日本人捕虜がバットや食事用のナイフを武器に蜂起し、宿舎に火を放って脱走を図った。だが、多くは警備の豪兵に銃撃され、域外に出た捕虜も連れ戻されて失敗に終わった。豪政府によると、死者は日本側が234人、豪側が4人。捕虜は人道的扱いを受けていたが、「生きて虜囚の辱めを受けず」という当時の戦陣訓が決死の行動へ突き動かした。
亡くなった日本人は現地で埋葬され、戦後、地元住民らによって供養が続けられた。事件以外の日本人戦没者も集めた墓地や日本庭園も後に設けられ、日本との間で交換留学も行われている。カウラは現在、日豪の歴史和解を象徴する場所となっており、4日には市民らがちょうちんを手に追悼パレードを行った。