分断半世紀、今も廃虚の保養地=トルコ侵攻で住民追放―ギリシャ系、望郷消えず―北キプロス 2024年07月14日 17時26分
地中海東部のキプロス島へトルコ軍が「トルコ系住民保護」を名目に侵攻し、北部を占領してから今月で50年。北部には半世紀前の戦闘でギリシャ系住民が追放され、今も廃虚が並ぶ「ゴーストタウン」が残る。「まさか50年も帰れないとは」。南北分断が固定化される中、元住民らは望郷の念を募らせている。
▽人影ない軍事地域
キプロス島東部ファマグスタ(トルコ語名ガジマウサ)近郊のバローシャ。かつては島随一の保養地で、フランス人俳優ブリジット・バルドーさんら欧米の著名人に愛された。ギリシャ系住民が人口約4万人の9割超を占めたが、1974年にトルコ軍が占領。現在は島の北部約37%を占める「北キプロス・トルコ共和国」(トルコのみ国家承認)内にある。
閉鎖されたバローシャに入ると、一部道路のみ通行可能で人影はない。立ち入りが禁じられた建物には50年前の古びた看板が放置され、老朽化で倒壊の危険もある。国連管理の建物の前では、警備するトルコ軍兵士に「写真は撮るな」ととがめられた。
「離れたくなかったが、誰もさよならを言わずに出て行った。すぐ戻ってこられると思っていた」。当時15歳で逃げたニコス・カルラスさん(65)。今は島南側のキプロス共和国の南部ラルナカに住む。「バローシャが私の故郷。ラルナカで死ぬことはできない」と言葉に無念さがにじむ。バローシャで父親が経営していた薬局跡は禁止区域で、今も近づくことすらできない。
6歳だったアンドレアス・ロルドスさん(56)も、母親や兄弟と共に着の身着のまま町を去った。父親が経営していたホテルは荒れ果てて無残な姿。「ホテルを再び開業させたい。私の妻とは、バローシャが開放されたら必ず一緒に戻ると結婚の時に約束した」と話す。
84年の国連安保理決議は、バローシャを国連管理下に移すよう要請。だが、北キプロス側は2020年以降、決議に反する形で一方的に観光客受け入れを始めた。住民の帰還が遠のく現状に、ロルドスさんは「何の理由もなく数万人を故郷から締め出し続けるのは、人道的危機だ」と憤る。
▽返還探る南北交流
バローシャを開放して繁栄を取り戻そうと、南北の垣根を越えて住民間の協力も進む。ファマグスタ在住のトルコ系医師オカン・ダールさん(60)は、問題解決を探る市民団体を10年に設立。「バローシャはトルコのもの」との考えが強い北側で、初めてギリシャ系住民への返還を掲げ、ギリシャ系とも交流を続けている。その代償として、自宅の放火など嫌がらせを幾度も受け、トルコ入国も禁じられた。
ダールさんにもバローシャは幼少期に海水浴を楽しんだ思い出の地。「(昔のバローシャが)よみがえるのが夢。町を返還して最も経済的に恩恵を受けるのは、ファマグスタの人々だ」と訴えている。