走り続ける「鉄の家族」=ウクライナ鉄道、避難と物資運搬で国民の命つなぐ―より良い再建へ変革も 2024年02月17日 15時30分

キーウ中央駅に到着したウクライナ鉄道の車両=4日、キーウ(キエフ)
キーウ中央駅に到着したウクライナ鉄道の車両=4日、キーウ(キエフ)

 【キーウ時事】ロシアの全面侵攻で空路が閉ざされたウクライナでは、鉄道が人や物資の輸送を担っている。幾度となく駅や線路、関連施設が攻撃を受けた。だが、国営ウクライナ鉄道の職員約20万人は「鉄の家族」を合言葉に団結。一度も列車を運休することなく、文字通り「ライフライン」として国民の命をつなぎ、生活を支え続けた。
 ◇息子と前線に
 ロシアの侵攻以降、鉄道職員の死者は従軍して戦死した者を含め約600人、負傷者は1600人を超える。東部ロゾバの車両修理工場で働くヘナイディ・オウチャリュクさん(54)も、戦地で重い傷を負った職員の一人だ。
 2022年2月、軍隊経験のある息子(22)に徴兵の通知が届いた。オウチャリュクさんは「必要不可欠な労働者」として動員対象ではなかったが、即座に「私も一緒に行く」と決断。3月上旬、息子と共に南部マリウポリ近くの激戦地に送られた。
 軍から渡されたのは、ライフル銃1丁と弾倉4個だけ。「前線は地獄だったが、自分よりも息子の安全が気がかりだった」と振り返る。
 同月中旬、息子が守る一角が攻撃を受けた。「嫌な予感がした」。少し離れた場所にいたオウチャリュクさんが地面をはって行くと、倒れている息子の姿が目に入った。さらに近づき、わずかに足に触れた。「狙撃手だ!」。誰かの怒鳴り声が聞こえた次の瞬間、右腕と背中に激痛が走った。
 味方の兵士に引きずられて脱出。後方拠点で応急処置を受けた後、東部ドニプロの病院に移送された。息子の安否は分からないままだ。
 ◇「欠点」が奏功
 ソ連時代の体質が色濃く残るウクライナ鉄道は、かつて無駄に多い職員や路線の数が批判の対象となった。だが、戦時下ではそうした「欠点」が奏功。列車の運行維持や、各地からの迅速な避難につながった。
 避難民が待つ駅に向かう列車が砲撃を受ければ即座に修理チームを派遣し、ロシアから奪還した町には真っ先に列車を開通させる。同社旅客部門トップのオレクサンドル・ペルツォウスキー氏は「民間事業体ではこうした(危険や採算を顧みない)運営ができなかっただろう」と指摘する。
 一方、戦後を見据えた変革も進む。首都キーウ(キエフ)にある修理工場では、24時間態勢で鉄道車両の「近代化」改修が行われている。旧型車両を骨組みだけ残して解体し、負傷兵や障害者が使いやすいように出入り口や座席、トイレをバリアフリーに改造する。
 キーウ中央駅には負傷兵や車椅子利用者のためのエレベーターも設置。避難者は子供連れが多いため、切符売り場の一部を子供が遊べる空間に改修した。「目指すのは単なる修復ではなく、『ビルド・バック・ベター(より良い再建)』だ」と同社広報担当者は語る。
 ◇癒えない傷
 息子と前線に行き、独りで帰還したオウチャリュクさんは「誰かが戦争に行かねばならなかった」と自分に言い聞かせ続けている。昨年5月、以前の職場に復帰した。撃たれた右腕が不自由なため、事務担当になった。
 働いている間は気が紛れるが、毎日のように息子のことを考えてしまう。「捕虜になったという希望もわずかにあるが、恐らく生きてはいないだろう」。静かな口調が重く響く。家族を失った傷は修復できない。「それでもより良い人生にしていくしかない」とオウチャリュクさん。携帯電話に保存された、前線で撮ったという写真には、そっくりな顔の父と子が並んでいた。 

その他の写真

ヘナイディ・オウチャリュクさん=11日、ウクライナ東部ロゾバ
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ヘナイディ・オウチャリュクさん(右)と息子(本人提供・時事)
ヘナイディ・オウチャリュクさん(右)と息子(本人提供・時事)
ウクライナ鉄道の修理工場=1月30日、キーウ(キエフ)
ウクライナ鉄道の修理工場=1月30日、キーウ(キエフ)

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