郵政民営化(民営化への道のりとマーケット)
1989年バブルの不良債権処理の影響を受け、なかなか立ち直れないマーケットに対して「郵政民営化」は大きなインパクトを与えました。「構造改革」、そして国会で否決された「民営化」を解散総選挙で奪回するという永田町を離れて民意を反映させた政策運営でもありました。
今回は、郵政民営化について「その道のり」と「当時のマーケットの状況」を記録・データで振り返ってみたいと思います。
1.全体のポイント
- 小泉政権は、2001年4月26日~2006年9月26日まで
- この間、「聖域なき構造改革」、「民間にできることは民間に」、「地方にできることは地方に」、「改革なくして成長なし」。そして、『郵政民営化は改革の本丸』、当時よく耳にした言葉です。
- 郵政民営化法案は、2005年に衆議院本会議可決⇒参議院本会議否決⇒(衆議院解散・総選挙)⇒(自民党圧勝、というよりは民営化賛成派圧勝)⇒郵政民営化法案可決の過程を経て2007年に民営化に進みました。
- 日経平均株価は、小泉政権誕生後は停滞していましたが、2003年を底に反転し、2005年後半(郵政選挙後)は、ピッチを上げての上昇となりました。
【図表】日経平均株価(週足、2003年4月~2006年3月)
2.郵政民営化への道のり
下記は、郵政民営化の後の姿です。
【図表】旧日本郵政公社から民営化まで
「構造改革なしに経済成長なし」。当時の小泉首相は、郵政民営化を軸に構造改革を推進しました。閣議決定からの一連の流れは下記の通りとなります。
<衆議院で可決も参議院で否決、衆議院解散・総選挙、民営化法案可決まで>
2004年9月10日の閣議決定における「郵政民営化の基本方針」の1.基本的視点では、郵政公社の4機能(窓口サービス、郵便、郵便貯金、簡易保険)が民営化を通じてそれぞれの市場に吸収統合され、市場原理の下で自立することが重要。そのための必要条件は以下の通りとしています。
- 経営の自由度の拡大
- 民間とのイコールフィッティングの確保
- 事業毎の損益の明確化と事業間のリスク遮断の徹底
あと、2.最終的な民営化時点における組織形態の枠組み、3.最終的な民営化時点における各事業会社等のあり方、4.移行期・準備期のあり方、5.雇用のあり方、6.推進体制の整備、7.法案の提出等について閣議決定されました。(以上、「郵政民営化の基本方針(2004年9月10日閣議決定)」より抜粋)
3.マーケット
郵政民営化を中心に構造改革がテーマの時代でしたが、
- 株式の取引では、インターネット取引が拡大
- ITバブルの後落ち込んでいた企業業績は、回復・好調、
- 外国人投資家の買い越しが続きました。
その他では、ITベンチャー企業のIPOが隆盛、2006年に入ってライブドア事件や村上ファンドなどの不祥事に繋がりますが、インターネットの拡大、ITベンチャー企業の存在が話題を集めた時期でもありました。 それぞれの状況については、下記に示す当時のマーケットのデータをご参照ください。
① 株式市場はインターネット取引の拡大期
【図表】インターネット取引の状況(2000年~2007年)
② 好調な企業業績
【図表】企業業績の推移
③ 投資主体別売買高
【図表】投資部門別株式売買動向 金額(三市場、第一部・第二部)
【図表】当時のマーケット・インディケータ(2005年1月~2005年12月)
(参考資料)
2.小泉内閣メールマガジン(2005年10月20日 第207号)
(2020年12月7日)