独立性脅かされる危機感=政治の関与が「禍根」―西村日銀元副総裁 2023年01月31日 18時32分

日銀が2012年下半期の金融政策決定会合の議事録を公表した。政権交代を図る安倍晋三自民党総裁が大胆な金融緩和を要請し、日銀の緩和姿勢は不十分だとの認識が国会を中心に噴出。金融政策に対して政府の関与を強める動きが加速した。当時の日銀副総裁で政策研究大学院大学の西村清彦特別教授はインタビューに応じ、「日銀の独立性が脅かされる危機感を持っていた」と振り返った。
―12年当時は、2月に1%の物価上昇率を目指す「物価安定のめど」を導入。包括緩和の枠組みを続けていた。
全体として円高が進んでおり、1%の物価上昇達成は難しい状況にあった。私は10月に、包括緩和は限界だと考えて(より強力な)「デフレ脱却緩和」をすべきだとする内部的なメモを作成した。マイナス金利の検討や、長期的な目標として物価上昇率を2%とすることなどを盛り込んだ。ただ、その時は受け入れられなかった。
―9月に安倍晋三氏が自民党総裁に復帰。日銀に対する要請を強めてきた。
本来、日銀には独立性があるから、政治には左右されない。ただ、その独立性を脅かすようなことが政治の世界で起きつつあるという危機感を持っていた。自民党だけでなく、民主党政権下でも「日銀が十分に金融緩和していないからデフレが続いている」との論調が強くなった。非常に難しい時期だった。
―10月に民主党政権と「共同文書」を締結。12月には安倍政権への移行を見据え、2%の物価目標を定めたアコード(政策協定)などの検討が始まった。
アコードは私も考えたが、それは(政府から)押し付けられてやるのではなく、日銀が主導してやるべきものだと考えていた。ただ、実際には主導権が自民党側にあった。それが根本的な違いだ。
―政治の影響をどう感じていたか。
日銀の独立性を踏みにじるような動きが非常に強くなってきていると感じた。日銀には非常に大きなプレッシャーだった。アコードの検討に関しても、どんどん(政治サイドから)押し込められている感じがした。新日銀法の下で政治が金融政策を左右しようとしたことは、その後に禍根を残した。